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January 30, 2006

いくつかの偶然の重なりがもたらした「必然」

「旅のオタク化」が進む昨今ですが、それだからこそ、原点というものが大事だったり、ベタなことに感動したりしてしまう傾向が強まっているのかなと思ったりします。

と言いますのも、ここ最近、北海道ローカル番組の「水曜どうでしょう」が関東地方でも、夜遅くに再放送として流されるようになり、たまたま見ていたら、すっかりはまってしまいました。

「水曜どうでしょう」は、ご存じかもしれませんが、タレント2名・ディレクター2名の計4名で構成されている、旅バラエティ番組(?)です。

そこに映し出されているのは旅が本来持っていたと思える楽しみ・躍動感がリアルにベタに映し出されていました。

人は旅をして何を求めているのか、何を感動するのかというのは、名所を巡ったりすることだけでなくて、そこに行き交う人と人との交流があって、そして感動があるのかなと思いました。その「人」というのは、旅行相手もそうでしょうし、旅行先でふれあう人もそうであろうかと思います。

「水曜どうでしょう」というローカル番組の成功というのは、たしかに、旅の本来の魅力と定義づけられてきた、観光名所、素敵な風景、その土地ならではの名物・グルメといったことを、一切メインの題材にはおかなかった(一見、「目的」にはなっていたが、実際には「手段」と化していた)。

往々にして、車や電車内などの移動手段での「愚痴」が番組内容のメインであった。そうしたことでも、視聴者は「旅番組」「旅バラエティ(番組)」と認知し、共感していた。

これは、番組立ち上げ時の環境・経緯によるいくつかの偶然の重なりがもたらした「必然」によるものが大きいものと考えられる。

この「いくつかの偶然の重なりがもたらした必然」を作り出した「いくつかの偶然」とは、具体的には、下記のことである。

・たまたま、深夜番組の放送枠が空いたこと

・キー局の制約を受けないこと(この場合は、テレビ朝日のことになる)

・制作プロデューサー、ディレクターに対し、上層部からの番組内容に対する制約がなかったこと

・スポンサーからの要望もなかったこと

・予算は限りなくなかったこと

こうしたことが「いくつかの偶然」として番組開始時に存在した。

しかし、これだけでは、単なる「低視聴率番組を作り出す条件」と言っても過言ではなくなる。

そうした状況下で、担当ディレクターの藤村氏は、番組開始前から、視聴率5%以上をとることを目標にし、もう一人のディレクターである嬉野氏に話していたという。

このローカルの低予算深夜番組で「5%」という視聴率は、かなりの壁であったに違いない。

でも、それだからこそ、藤村氏は挑戦したくなってみたのだと思われる。

逆に、結果が出なくても、責められることはない。ということは、何も失うものはない・・・ということで、どこまでもポジティブになれる条件であったと捉えたのだろう。

とはいえ、番組制作においては、かなり限られた条件となる。

それではなぜ、この「水曜どうでしょう」が大ヒット番組となったのか。

これは「出演」していた彼らが、

「やってみないことには、わからない」

「行ってみないことには、わからない」

というスタンスで、まずは情報ではなく、体験・経験ありきでぶつかっていったことが、大きな要因となっているものと考えられる。

このことが、今までにない「魅力」を生み出していくことになるのである。

もちろん、企画を実行するにあたり、ディレクター陣は、事前に情報を入手している。その情報は、企画の体験・経験の支えとなっていたし、行動指針となっていた。

しかし、その事前に調べた情報がどんなに正確な情報であっても、彼らにとっては、単なる「仮説」にしか過ぎなかった。つまり、旅をするにあたって、「情報」というものに、全てを支配されることはなかった。(実際に「情報」通りに行動して失敗することはしばしばあった)

「実際にやってみないとわからない」ことを実際に経験してみることで、「仮説」というのは検証することができる。但し、ここでは、その仮説を検証することが目的なのではなく、その「仮説」が正しいかどうかということを問題視していない。というか、そんなことはどうだっていいのである。

それよりも、そこに至るまでの過程において、その「仮説」が正しければそれでいいのか、実際にその「仮説」通り実行していくと、どういった気分になり、どういった感情をもたらすのか・・そうしたこと一つ一つが、言葉となり、会話となり、愚痴となり、盛り上がりとなる。そして、今までの旅(番組)では気づくことの無かった旅の醍醐味というのを、確認し、実感する。視聴者はその出演者の確認、実感によって「追体験」するのである。

一例を挙げると、サイコロをふって出た目の場所に旅をし、東京から札幌まで戻るという企画があるのだが、そこでたびたび選択肢に「深夜バス」というのが登場する。その深夜バスの中でも、東京-博多間を14時間で結ぶ「はかた号」(彼らはキング・オブ・深夜バスと呼んでいる)に彼らは、何度も乗車をするはめになる。

この「はかた号」、たしかに14時間で東京を出発し、目的地博多に到着することが出来る。きちんと夕方に出発して、次の日の昼に到着をする。これは、「情報」として考えれば、何にも問題のないことである。予定通り運行をし、予定通り目的地に到着をしているわけだから。

しかし、実際に「はかた号」に乗車をし、次の日の昼までずっと乗り続け、そして、翌日の昼間に目的地である博多に到着をした出演者たちは、14時間という、「睡眠」という行為をするには、十分過ぎる時間がありながら、ほとんど一睡も出来ないでいる。もちろん、番組上の制約はないので途中で起きている必要性はなく、自分の意思で眠りたいと思っただけ眠ることが出来るはずなのに・・・である。

彼らは、出発時の姿に比べると、明らかに髪の毛はボサボサになり、腰や背中を痛め、顔は苦痛に満ちている。その姿が、途中休憩で立ち寄るサービスエリアや、博多で撮影される。もちろんその時の出演者の台詞なんて決まっていない。言いたいことを言うだけである。

もちろんこの模様を見ている視聴者の中には、その時までに「はかた号」に実際に乗車経験もある人もあるであろうが、大部分の人は、乗ったことがないものと推測される。

しかし、こうした出演者の「やられっぷり」を番組を通して「追体験」することによって、自分も「やられた」感情をバーチャルに抱き、共感し、同情しつつも「やられた」出演者を笑い、愚痴る出演者に同情・共感する。

こうした出演者の「愚痴」こそが、今まで、人が旅に出掛けるときに、ずっと潜在的に思い続けていたけれど、「魅力」という定義にどうしても入れられなかったこと、「動機」というカテゴリーにどうしても分類しなかったこと、顕在してはいけないことと思いこんでいたことなのであろうと思われる。

今後、旅の魅力と言うことで考えていく上で、もちろん「旅の名所」「グルメ」「温泉」「宿泊施設」など、その土地ならではの経験・体験する『ハード』が、魅力としてあげられることは当然ではあるが、それとともに忘れてはならないのは、その目的地に達するまでの一つ一つの行動・言動(時には、ハプニング・失敗・愚痴)といった『ソフト』もまた、旅の魅力であると、思い切って言える時代にもなり、それが「魅力」という名のカテゴリーに入れても許される時代が到来しているのではないかと考えられる。

以上、戯言でした。

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